ひみつ

最近はものを書くことを、あまりしなくなった。

社会人になって早5年目。

適度に仕事をし、適度に旅をし、大きな感情の変化もないが、我ながら充実した日々を過ごしている。

そんな中で一番の変化は結婚をしようと思えた相手ができたことだろうか。

ひとりで旅をしていたときは、目の前の風景を見ることが出来るのは自分ひとり。だからせめてこの美しさを共有したいと、狂ったように言葉に残した。

いま思えばそれは、ひとり旅をする寂しさを、せめて世界と「言葉」で繋がることで紛らわせる為の行為だったのかもしれないと思う。

ただ、いまは目の前の風景を一緒に見てくれるひとができた。

美しいものに出会ったとき、当たり前のように隣で、同じように美しいものに出会ったひとがいる。

だからこそ、「もの」を書き、感動を言葉にする必要がなくなったのかもしれない。

言葉で世界を評価することは諸刃の剣だ。言葉という型に世界をはめ込むことで、そのものが持つ本来の姿を歪めてしまうかもしれない。言葉に囚われない世界を持つことを放棄しかねない。

そう例えば、私は海を「美しい」と伝えるが、本当は「怖い」と思うひとがいるかもしれない。

「美しい」の一言で全てが美しいという型に押し込まれることがもったいないほど、この世界は透明だ。

それなのにやはり「美しい」と表現してしまう自分の浅はかさに気づいてしまったからこそ、あまり「もの」を書かなくなってしまったのかもしれない。

そして私が過去の旅路で出会った世界を、私の吐き出す浅はかな言葉ではなく、凡庸な写真でもなく、ありのままで見せたいと思うひとに出会えたことが結婚の決め手だったと感じる。

さて、付き合ってからいままで、既にたくさんの世界を一緒に見て回った。

だけどまだ見せていない秘密がたくさんある。

南の水平線から、北の地平線まで、宙を貫く天の川。

陽に照らされた雲海が、黄金の絨毯になる瞬間

冷え込んだ冬の日、音がしない綺麗な朝

全てを見せるのにあと何年かかるだろうか

隣で世界を見るあなたの魂が揺れる瞬間を忘れないよう、私はやはり書き続けたいと思う。