旅をするということ(徒歩日本横断#116)

116日目の今日は那覇市のホテルで起床

実はこのホテルは昨日まで泊まっていた月光荘というゲストハウスに遊びに来ていた男性が泊まっていたホテルなのだが、「俺明日で帰ることになったんだけどホテルは水曜まで取ってるから良かったら使ってええよ」と言ってくださったのでその優しさに甘えて那覇で無料滞在できることになったのだ。

広いし綺麗だし快適で最高の住処を手に入れた今朝はフカフカのベッドでゆっくり寝て朝は8時に起床。準備をして9時に歩き始めた。

そんな今日はホテルから沖縄最南端に位置するひめゆりの塔まで行ってまたホテルに戻る往復36キロの道のりだ。

ひめゆりの塔は去年もそうだったが自分にとって沖縄本島の最終目的地であり、1番訪れたい場所。天気は相変わらず曇りだが、雨は降っていないのでまぁよしとするかぁ、、という感じでふわふわと歩き始めた。

まずは那覇市街を抜けて県道7号へ

ここまで来ればあとはほとんど真っ直ぐにひめゆりの塔まで本島南部を突っ切ることができる

この標識を見て思うのは今歩いているこの道も含めて本島南部は実際に敵が上陸した地上戦のあった激戦地だったということ。街中にも目を凝らせば至る所に壕や遺跡が残っている。

標識の海軍壕公園は今や日曜日の親子連れで賑わう立派な広い公園だが、かつては海軍総司令が置かれた場所であり、その自決現場も当時のままに残っている場所だ。あまりにも重い歴史を目の前に思わず足がすくみ息が苦しくなる。

那覇市を越えて豊見城市に入ると小高い丘が増えてさとうきび畑が至る所で目につく。

丘の上からは市街地の風景を一望し風も吹き抜けて気持ちがいい。

そして豊見城から5キロほど歩けば本島最南端の糸満市へ

糸満を歩いているとさらにさとうきび畑は増え

まるで昔の風景そのままのような舗装されていない小径を歩いていく

さとうきびの揺れる音は心地よく耳に響き、それにつられてふと目をやると

何日ぶりだろうか、もう色も忘れてしまったかのような「青」が雲の切れ間から微かに覗く

思わず立ち止まってしまう

するとどんどん厚い雲は切れていき

そこには「空」が広がった。

たしかにそれは青い空だ

幾日と待ち続けた太陽の光が届く

濡れた地面は一気に蒸発し、ムンムンとした土や草木の匂いは心地良い風に吹かれ散らばっていく。身体にまとわり、また離れ、遠くへ遠くへ運ばれていく。

まさか青い空だけで涙が落ちそうなほどに美しく思えるとは…沖縄に来てから早一週間、そのうち晴れ間が見えたのはわずか数時間。

雨に打たれ風に吹かれ、それでも待ち続けた青空はあっさりと、とても静かに、雲の切れ間から差し込む光とともに頭上に広がった。

おせーよ太陽。お前を待ってる間に沖縄本島も一番北から一番南まで歩いちゃったじゃねーか

道をヤギが歩くほどのどかな南部の小さなさとうきび畑の中で、また空に出会えた。

伸びる影法師も、焼けるのが分かる肌の感覚も、どれもが太陽の恩恵だ。

そしてそんな青空を待っていたかのように生き物たちは一斉に動き出す

木々の合間を鳥達が

咲き乱れる小さな花には蝶達が

太陽に反射して輝く蝶の羽は見たことのないような宝石の色だ。思わず手を伸ばすとこれがなかなかすばしっこくて捕まえられない。

それでも深い青に輝くこの蝶を一度でも手にしたくて、諦めず追いかけ続ける

すると1匹。キラキラ舞いながら近くの花に止まった。まるで赤ちゃんに話しかけるように、優しく優しく近づいて手を伸ばす

捕まえたその蝶の羽は宇宙を羽に詰め込んだかのような形容し難い美しさ。深い蒼は無限の宇宙空間で白いマダラ模様はそこに浮かぶ星空のようだ。

光の当たる角度で煌びやかに、無限の輝きを見せてくれる。多分沖縄にしかいないであろう、まさしく楽園の蝶。

晴れるということは人間だけではない、生き物達も心躍る至福のひとときなのかもしれない。

そう思わざるを得ないほど、その舞う姿は凛としていた。

そしてそんな楽園を越えてたどり着いた

沖縄本島で最後であり最大の目的地

ひめゆりの塔

去年もこの場所を訪れ、また今年も必ず来たかった場所だ。ひめゆりの塔は簡単に言えば沖縄の戦火に散っていった女学生の慰霊碑であり、沖縄戦を象徴する遺産。資料館も併設していてそこでは戦争を過去にあったことではなく、実際にあった現実だと直視できるさまざまな資料が展示してある。

総勢200人を越えるの女学生達の顔写真やどのような人だったか、そしてどのような亡くなり方をしたのかまで詳細に記してある展示一つ一つに目を通す。

爆弾で即死した人、機銃掃射で穴だらけにされた人、火炎放射で焼かれた人、追い詰められ集団で自決した人、竹槍一つで敵陣に突っ込んでいった人、、、これは全部軍人の話ではない。自分より歳が下の女子達の話だ。

顔写真と共にその記述が克明に残されている資料は、女学生たちがたしかに生きていた人間だったことをありありと実感させてくれる。

白黒の世界ではない、たしかに色がある、今と変わらない風景の中で生きていた人だということ。

唯一違うのは降り注ぐのが日差しでも雨でもなく、鉄の暴風と呼ばれる無数の迫撃砲や機銃掃射だったこと。

ここを本島の最後に来た理由は慰霊のためだけではない。去年訪れた時に衝撃を受けた1人の学生の言葉が今も忘れられなかったからだ。

「もう一度弾の降らない空の下を

大手を振って歩きたい」

去年これを見た時、涙が止まらなくなった

今こうして雨だろうが晴れだろうが、当たり前にこの空の下を歩けていること。それは決して当たり前ではない、戦時中の人達にとっては何よりも叶えたいたった一つの願いだったということ。

北海道から当たり前のように空の下を歩いてきた去年の自分には、あまりに衝撃で重く響く、そんな言葉だった。

そしてこれは美談ではなく、今年の旅でその言葉を忘れたことはない。

いつだって思い出していた。青空の下でも雲の下でも星の下でも、、

ふと思い出しては「今歩けている」という当たり前の大切さを気づかせてくれたこの言葉の重みを胸に旅をしてきた

本当に苦しい旅の場面には時に励みになった言葉。だってこの時代に比べたら自分の足が少し痛いことや、雨が降ることだって大した問題ではない、そう思うことができたから。

自分のエゴだろうか、それでもそんな感謝も込めて、必ずここを訪れようと決めていた。

時代が違えば、いや、現代でも国が違うだけでそんな当たり前は脆くも崩れていく。

ひめゆりの塔を出た後の空は、いつもとても眩しく見える。沖縄はただ美しい場所ではないことを知ることはとても大切なことだと思う。

沖縄だけではない、日本は、そして世界は、さまざまな歴史の上で、今もなお美しい風景を展開していることを決して忘れてはいけないのだ。

旅をするということは

この道を歩くということ

道を歩くということは

その道にある風景を眺めること

風景を眺めるということは

その風景の中の歴史を知ること

歴史を知ることは

今を生きる大切さを知ること

今を生きる大切さを知ることは

今を生きる人と出会うこと

今を生きる人と出会うことは

出会った人と笑えること

出会った人と笑えることは

1人で旅をする寂しさを知ること

1人で旅をする寂しさを知ることは

まわりに生きる人たちの大切さを知ること

そしてまた

この道を歩いていくということ

それが旅をする

ということ


歩行距離 36キロ

沖縄県那覇市⇄糸満市

総歩行距離 3992キロ

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